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第5話

作者: 伊桜らな
last update 公開日: 2025-10-11 20:04:37

朝の光が室内に静かに差し込む。カーテンの隙間から漏れる光は、白い帯となって床に落ち、ゆっくりと時間を刻んでいた。

「ここ、は……」

「みさきっ?」

私を呼んだのは兄だった。

目が覚めていくと、昨日の混乱と恐怖が重い残像となって思い出された。

沙羅に突き飛ばされ、硬い床に背中を打ちつけた瞬間の衝撃。鋭い痛み。

それから自室で寝たはずだけど、なぜか病院にいる。病室の無機質な空気が私を包んでいた。

消毒液の匂い、白い壁、遠くで聞こえる医療機器の単調な音が聞こえてきた。

視線を動かすと、ベッド脇の椅子に兄が座っていた。

「美咲……」

その低い声に、私は小さく息を吐く。

目がかすかに涙で潤む。喉が締めつけられ、言葉を紡ぐ前に、ただ一つのことが気になった。

「兄さん……どうして、私。あっ、お腹の子は!?」

英司は黙ってうなずき、私の手をそっと握った。その手の温もりが、凍てついた心に染み渡る。小さな命の鼓動が、確かに私の中で生きていることを教えてくれるようだった。

「無事だ。お前の中で、強く生きようとしている」

その言葉に、胸の奥で安堵が込み上げた。

英司は深く息をつき、私の目をじっと見つめた。普段は冷静で理性的な彼の瞳に、微かな怒りの影が揺れる。

英司は一瞬、視線を逸らし、唇を固く結んだ。彼の拳がゆっくりと握られ、関節が白くなる。怒りを抑えるように深く息をつき、静かに言った。

「……お前は彼のもとに戻るつもりか?」

その言葉は優しく、だが私の決意を試すように重かった。胸の奥で、小さな命の鼓動がかすかに震える。それが、私を支える唯一の力だった。私はゆっくりと顔を上げ、英司の目を見つめた。

「もう、事故の運転手や母の無実の問題だけじゃない。哲也は選んだのよ――沙羅を。私には、私の道を選ぶ必要がある。幸い、流産はしなかった。この子は強く、生きようとしているって、私に教えてくれている。だから、どんなことをしてもこの子を守る。沙羅みたいに、子供を利用して哲也の心をつなぎ止めるような真似は、絶対にしない」

私の声は震えていたが、決意だけは揺るがなかった。英司は私の手をじっと見つめ、やがて微かに笑った。どこか懐かしい、母のような優しさがその笑みに宿っていた。

「本当に強いな。母さんそっくりだ」

その言葉に、胸が熱くなる。母の笑顔、柔らかな声、いつも私を包み込んでくれた温もりが蘇る。私は肩を落とし、深い疲労と心の痛みを隠せなかった。

「疲れたわ、兄さん……。私は心から哲也を愛していた。でも、こんな惨めな結婚に縛られるつもりはない。彼が私を信じないなら、検査結果を見せる必要もない。この結婚を、子供のために無理やり続けるなんて嫌なの。だから、彼にはこの子は死んだことにするわ」

英司は深く息をつき、握っていた手を緩めた。瞳に複雑な感情が揺れる――怒り、悔しさ、そして私への深い愛情。

「まさか哲也がこんな人間だとは思わなかった。だが、お前がそう決めたなら、離れろ。これからは俺がお前と子供を支える。母さんの家に戻ろう。沙羅や神宮寺家とは、永遠に決別だ」

その言葉に、私は頷いた。英司の存在は、私にとって最後の砦だった。母の家――かつて家族で笑い合ったあの場所に帰れるなら、きっと新しい一歩を踏み出せる。

そのとき、英司のポケットでスマートフォンが震えた。彼の助手からの電話だ。英司の表情が一瞬で変わり、眉間に皺が寄る。通話を終えると、彼は低い声で告げた。

「当時の交通事故現場周辺の監視映像が、すべて削除されていることが分かった」

血の気が引いた。七年前の事故。母を奪い、神宮寺夫妻を巻き込んだあの事件の真相は、まるで誰かの手によって闇に葬られているようだった。

捜査が困難であること、証拠が意図的に隠されている可能性――があるのだと思った。

英司は深く息をつき、静かに続けた。

「事故の件は後回しだ。まずは、沙羅がどうやってあの偽の手紙を手に入れたのか、誰が渡したのかを調べる。お前は今、安静が必要だ。美咲はお腹の子を守れ。あとは俺に任せろ」

私は小さくうなずき、胸の奥で決意を新たにした。小さな命を守るため、母の無実を証明するため、そして何より自分の尊厳を取り戻すために。

「君は、私が守るからね」

まだ膨らみすらないお腹に手を当てて私は、つぶやいた。

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